富士吉田市の概要
富士吉田市は、山梨県の南東部に位置し、富士山の北麓に海抜700〜900mの市街地を形成する高原都市です。南は静岡県に接し、鳴沢村・富士河口湖町・西桂町・都留市・忍野村・山中湖町に囲まれています。古くから、富士山信仰の町として栄え、御師文化の面影が今も残されています。
富士吉田のあゆみ
古代、日本列島の南北が大陸と陸続きの時代、山梨県内では、この時期の遺跡がわずかに発見されていますが、それ以外にも富士山の火山灰や溶岩の下に遺跡が埋没している可能性が高いとされています。市域では新倉の池之元遺跡や大明見の古屋敷遺跡など、縄文時代の遺跡が発見されており、土器や石器などが出土しています。
鎌倉時代には新しい仏教が興隆し、市域でも活発な布教活動があって、広がりを見せました。現在でも日蓮や遊行二世真教などの寺院が鎌倉街道沿いに残されています。また、富士山でいえば、富士講(富士山を登拝することを目的として結成された民間の山岳信仰)が流行り、吉田は登拝の拠点として賑わい始めます。
江戸時代に入ると、甲斐国東部のこの地域の村々は谷村(郡内)藩の支配下におかれ、藩主となった秋元氏は三代にわたってこの地域を統治しました。特に利水・治水事業を進めて、農業生産の向上や絹織物の奨励に力を注ぎました。また、山附きの村々は剣丸尾や檜丸尾の溶岩台地を集落や耕地として利用できるようにするため、溶岩台地の開発を行って、新田村を分立させました。
明治維新の頃、上吉田の御師団有志は錦旗を奉じて倒幕のために出動し、蒼龍隊と呼ばれ、幕府援護の浪士組に参加した志士たちは、新微組となって活躍しました。 また、秦の始皇帝の家臣、徐福が伝えたとされる「甲斐絹」は明治以降、脚光を浴びるようになり、この地域の織物産業が近代産業となるきっかけとなりました。
市の沿革としては、戦後の1951年、富士上吉田町・下吉田町・明見町が合併して富士吉田市が誕生し、その後の1960年には、上暮地地区を合併して現在の市域となりました。富士山に抱かれた自然環境は、住民にとって大きな誇りであるとともに、限りない恩恵を与え、市は自然との調和を保ちながら、富士山とともに歩む国際都市として歩んでいます。
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| 富士吉田の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
富士吉田市歴史民俗博物館 |
| 住所: |
〒403-0005
山梨県富士吉田市上吉田2288-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0555-24-2411 |
| 開館時間: |
9:30〜17:00(7・8月は19時まで延長) |
| 休館日: |
年末年始および臨時休館日(不定日) |
| 入館料: |
大人300円(240円)、小中高生150円(120円)
※()内は20名以上の団体料金 |
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